かなしいね
心配かけないように、いまは一人のときに泣いています。
通勤中や、家事の間、
やり場のない悲しみと苦しさを、壁に頭をぶつけたり、テーブルに拳を振り下ろしたり、クッションを殴ったりして暴れながら、最後には神様に助けてくださいと乞いています。
もちろん神様が全ての願いを叶えてくれるわけではまったくありません。願いや祈りが叶わないから神はいないなんていうのは、人間のエゴです。わかっている。
全ては神の偉大な計画のうちという考えで自分が保てています。何も間違っていなくて、救われなかったのではなくて、“今”が正しいということ。その事実しかここにはないこと。
大丈夫だよというふりをしながらこれからを生きていく。それがどれだけ苦しいのか。一生こんな思いをするんだろうとわかって、それでも生きなくちゃいけないって一体どういうことですか?
望んでもいない、いつ終わってもいいとさえ思う自分に、今日もやっぱりあさがきた。
季節が、たしかに巡っています。
時間が流れている。
私はいつまでも終わらない冬のままここにいたいと思うのに。
苦しいの狭間にやってくる、あたたかな愛情が、私に今日を歩ませる。
今日も生きてるよ。
たぶん私はしあわせだ。
きっといつかはそう思う
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